現代風、音楽の楽しみ方とは

現代風、音楽の楽しみ方とは

楽しみ方の変容

音楽をどのようにして楽しむか

音楽を利用する機会も減り、売上も減少している、さらには特別目新しいアーティストの台頭もないという、どうしてこうなった状況に晒されているのは日本の音楽市場も例外ではない。売上を記録していると言っても、それが本当の意味で音楽として正当な評価がなされているかと言われたら、全くもって別問題だ。音楽の素晴らしさを理解するとなったら、今どきでいうところのJ-POPなどを聴くよりも昔ながらのクラシック音楽を沢山聴くことにあると思っている。歌詞のない、楽譜という設計図を演出するために用いる楽器により奏でられる世界観は神秘だ。最近だと、そうしたクラシックを題材にしたメディア作品なども登場し、それまで注目することもなかった人々がクラシック音楽に触れ合う機会を作ることにも繋がっています。

今どき音楽を楽しむのも音楽の楽しみ方としては手段として見ていいでしょうが、本当に心打たれる音楽を耳にするという機会はあまり無かったりするものだ。ただ騒ぎたければそれでいいというなら、喧しいだけの音楽を聴いていればいいし、特定のジャンルしか音楽に興味を示さないという人もいる。自分の好みに準じるのはいいかもしれないが、それだと本当の意味で音楽というものの良さを理解しているとは言えないだろう。元々は文化として、芸術の一分野として伝統と誇り、歴史によって積み上げられてきた先人たちの知恵という知恵で作られた伝統芸能だ。

音楽を楽しむなら限定された世界観の音楽を楽しむだけではない、多種多様な音楽に触れ合うのも1つの分岐点となるはず。レコード会社が売上が減少していると言われているのに、どうしてクラシック音楽という目に見えて、大衆性に富んだとは現代視点で語れないものがいつまでも生き残り続けているのか、そのことにも注目してみると今でいうところの音楽の楽しみ方は非常に偏見的なものなのかもしれない。

話題の音楽

原点として

音楽も歴史的な視点で考察していけば、その原点として神様への供物という性質が含まれている。雨乞い、戦いでの勝利を願う、死との葛藤と生への執着、そういった状況に即せば即すほど人は音楽を求める生き物だと、とある学者は語っている。こうした行動にはきちんとした目的がある、雨乞いにしても作物が育たなければ死活問題になり、戦争に勝たなければ国を失うことになってしまい、生きることに未練を遺したまま死にたくない場合など、その時々に応じて込められた音楽にはきちんとした理由とそれに伴う筋道が記されているものだ。

では現代の音楽を楽しんでいる人たちの傾向を見ると、そのような思いで見ている人はいるだろうか。音楽に対して深く関わっていない素人さんにすれば目的意識無く、楽しめればそれでいいんだという思いになるかもしれない。しかしプロとして活動している音楽家、または生業としている業界人ともなれば、ただ音楽は楽しければそれでいいんだとする意向を前提にするのは従来の楽しみ方からはかけ離れた、商業的すぎる側面で動いている。資本主義の原理に伴ってのことだろうが、音楽の楽しみ方としてはあまりに不純だと嘆く専門家がいてもおかしくはないだろう。

特にクラシック音楽を聴いているとそれを直に体験できるはず。音符の1つ1つに込められた思い、緩急つけて奏でられる世界観から見えてくるのは作曲者の意図した表現がそこにはある。音楽と言っても演奏する演者が異なればその世界観はガラリと変わる、恐ろしいと思うほど、旋律は様変わりして人々の心を昂ぶらせるのに十分な程色めきだって行くのです。今流行っている音楽にはそういった興奮を感じる要素は、残念ながら何処にもない。かつてはそのような感慨深い作品も存在していたが、いつの間にやら求める音楽の傾向も時代とともに変容してしまったようだ。

音楽の質よりも、利益を重視したレコード会社

このような状態になった元凶を創りだしたのは、紛れも無いレコード会社による意向だ。レコード会社は何処もかしこもCDの売上を重視している、それがないと企業が運営できないほど経営が圧迫されてしまうという点も理解できる。ですがそこにあるのは企業としての思惑だけで、誰もが楽しめる音楽を作るという意図は含まれていない。建前だけのミリオンを連発しているアイドルグループにしても、その楽曲には微塵の良さも感じられないくらい、薄っぺらいもののため聴いても何も感じない。

かつてはアーティストや制作者の意図を加味した楽曲が多く制作されていたが、売上にこだわるあまりそうした意思を蔑ろにするようにもなっていってしまったのです。音楽をただの商品として扱っている、現在の日本に見られる音楽業界に見られる一番の悪習だ。それこそ90年代のような売上が爆発的とも言える時代は制作者は自分の思い描くような作品を多く制作できるほど環境も整っていたと見るべきだろう。それも音楽配信という存在により、CDが売れなくなったために商品として売れるものしか扱わなくなってしまったレコード会社の圧力が音楽家の肩を負担していく。

今何聞いてる?

誰が悪い?

確かに音楽配信により市場が縮小してしまったかもしれない、しかしそれを加速させたのは市場独占を守ることに固執していたレコード会社の責ではないだろうか。音楽配信が一方的に悪者にされているが、逆に言ってしまえばも音楽をより自由に楽しめる手段を取り入れた音楽配信は、消費者にとって理想だった。思惑はあれど、それが消費者の望みと遠くなかったため、既存の体制は抗う術もなく敗北してしまう。その後の行動にしても、結局は自分で自分の首を絞めているだけでしかない。日本の音楽業界を総体して見ると、一概に音楽配信が衰退の原因とはいえないのです。